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Anarktyp [6' 49" ]
byENG

[10]ENGのDokument2006-2009に収録されてるJehovah Genocideはこの作品からのインスパイア。その時のライナーは下記の通り:東京のMagic Book Recordsからのオファーがきっかけで制作、締め切り間に合わずお蔵入り。イタリアの狂人、Maurizio Bianchiの81年作品、Symphony For A Genocide、オリジナルは恐らくNEのNigel AyersのSterile Recordsからか。これどうだっけなぁ。自信ない。Sterileって再発ものメインだったって聞いた事あるから、どうなんだろ。なんにせよ、このビアンキのSymphony for a genocideのTegal Recordsからの94年再発もの、限定1000枚。これはCDで、laptopでの処理。恐らく誰もその存在に気づかないであろう程にまでカットアップで並べ替えた所にreaktorでビルドアップしたシンセを上から被せる。お蔵入りが悔やまれる名作。タイトルはMB本人もそうであったように、私自身も幼少期、15年間在籍した千年王国をスローガンに活動する某宗教団体のトラウマから引用。

[11]ENGの代表曲となった2008年スペイン、Alg-aよりリリースのKollaps収録の1曲。とまぁスペイン語なんでなんて言われてるのかわかんないけど。東洋の世界観を感じさせる事の出来る琴や三味線などの弦楽器や和太鼓のテープを無数に切り貼りして。その隙間にイタリアのCrampsから77年にリリースされたJuan HidalgoのRrose Selavyのプリペアドピアノも切り貼り。なので個人的には東洋的なもののみに集中した事は無かったのだけれど。それから、それらのコラージュのその真上に子供の泣き声や廊下の軋む音からガラスの割れる音、Nurse with woundライクなビザール的具体音をドロドロに引き延ばしたものを(KORG SE500:79年製テープエコーを使って)重ねる。ニュアンスはコンクレートよりもダブに近いのかも。なお、タイトルのGeishaは暴力温泉芸者からではありません。

[12]マゾンナからの造語。ゾマンナ。shotahiramaのテープオペレーションの代表作でもあるこの曲は、08年Alg-aより発売のKollapsに収録。LAFMSのTom Recchionに聴いてもらい、その交流のきっかけともなったENGのビザール作品の中でも代表的な1曲となる。現代の東京にsmegmaやAIRWAYのフォロワーが存在する事を証明すべくTomへのコンタクト。具体音とそのeditで進む呪術的モンタージュはいつからか聴こえるオルガンの持続音へと回収され、再び吐き出される頃その具体音は抽象世界へのガイダンスとなる、ダダイズムからシュールへと不穏に動くブルトンの陰謀、トリスタンとの決別そしてダダの終結、シュールの成功。これがノイズオペラである。

レディメイドの乱用と変容 グロテスクな幻想を背後に病的もしくは性的な具音が持続、反復、コラージュといった運動により形成されていく音楽

[photo collage by shotahirama]

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- ダダイスティックな方法論とアプローチによって制作された作品を多数発表される一方で、平間さんはバウハウスに代表されるようなモダニズムへの強い関心についても触れられています。一般的にこれら2つのキータームは建築的/反建築的あるいは神経症的/分裂症的といったように対極的なイメージで捉えられることが多いように感じますが、平間さんの一連の制作活動の中で、こうした2つのベクトルはどのように結びついているのでしょうか?

ダダイズムは僕のオリジンポイントです。ソースです。例えばダダイズムというネームのWAVファイルがあって、このファイルをゼロポイントにポジショニングした際のグリッドラインがバウンスという最終過程まで一直線にあるとする。以上の環境設定をベースにこの2つのキータームがどの様に僕と結びついてるかを綴ってみたいと思います。

1.ダダイズムというネームのWAVファイルがあって、このファイルをゼロポイントにポジショニングした際のグリッドラインがバウンスという最終過程まで一直線にあるとする。はい、一直線に行く事もあります。それこそダダイスティックに。100ライン程並べたダダイズムファイルを強引に全部まとめてレイヤリングしコンクレートするという手法、これはビザールやイルビエントなサウンドを目指し始めた頃(electronoise groupがENGと表記変更した頃)そのとても初期の部分にあたる頃でしょうか、個人的に好んでよくやっていたクリエーションスタイル/音響操作の一つです。KORGのテープエコーにかましたり、オーバーダブする度にどんどんテープの速度を落としていったり。

さらには、次々とそれらテープサウンドを重ねていった後の、結果合成された音の集合体、もしくは思想、歴史、時間、嘔吐物の固形を、「半永久的な持続運動」というドローンへの移行を試みる。音響合成した何百ものレイヤーを(ダダイズムというネームのサウンドファイルを)ドローン化する。具音の何か巨大で無機的なノイズがそれこそ固形物の様にスピーカーの奥深くで蠢く。ヴォイツェックに出てくる「地面の下で蠢く」のテキストと同じ様に、地球の何処か知らない闇の奥でうずく子供の様に。僕はその手法の代表的な存在だったサーシャペレス、彼からの影響がとても大きいと思っているんです。

というのも、そもそもbroken flagのカセットをかなりコレクトしていた時期だったので無意識的にそれらコラプテッドなドローンサウンドに似せて作っていたのかもしれません。ちなみにビアンキ名義だとSymphony for a genocide、僕は83年のbroken flagからのカセットを持ってましたが今だとイタリアのEEs'T[10](ビアンキのセットアップレーベル)とかアメリカのホスピタルよりCDとしてリイシューされてますね、これは凄い影響を受けた。さらには同じブローケンフラッグからのS.F.A.G.81ですかね。これらは特別な思い入れがあって、個人的に前述した「強引なコンクレート、レイヤリング」的サウンド、そのお手本となる様な「強引な合成」そんな瞬間ばかりが鏤められているコンクレートドローンの名作です。

Das Testamentやコールドテープ(僕が持ってるコールドテープは何種類もあって最早シリーズと呼んでました)も好きでした。ビアンキの場合は少し異例で、というのもここで僕が言っている「ダダイスティックな手法」とか「強引なレイヤリング」とかそんな操作手法論云々以前にそもそも彼には説明不可能な心霊現象がサウンドに紛れ込んでいます、謎の呪術性、エホバ以前ビアンキ以前のペレス名義にも僕には宗教的なテイストを感じ取る事が出来たし、まずビアンキを引き合いに出すのは間違いだったかな(笑)、「音の死骸が浮き沈んでいく深いコンクレートの世界」

でも僕が自分のクリエーションにおいてダダイスティックな一面とは何ですか?と聞かれた場合の答えとしては間違いなくこのスタイルにあるんだと思います。虚無的な音響世界を見つけ出すために、オーバーダブの半永久的な連続と結果的な音を持続するという無の攻撃性、反リアルだけが残る幻想世界の様な真実。これっていうのはつまり、こうしてオペレーションされたサウンドは間違いなくダダイズムの思想にリンクするだろうし、ビアンキのイメージに間違いなく大きな影響を受けている。

E.N.G「Kollaps」(Alg-a)

E.N.G「Kollaps」(Alg-a)

E.N.G Dokument Box 2006-2009」(Edition NIk0)

E.N.G Dokument Box 2006-2009」(Edition NIk0)

ちなみに今回提供させてもらったAnarktypはビアンキとフリッケ(Siegmar Fricke)とのコラボ作品で07年にイスラエルのアールレーベル「T'an! Kaven!! Ash!!!」からリリースされた"Primordium"というCDR作品に強くインスパイアされています。
これは250限定で、でも僕が昔みたいに中古査定しててもそんな高くはつけないかな、でも内容はとっても良い。最近のインディドローンの方々にもこれならビアンキの名前を伏せて聴かせればいけるかも(笑)。何はともあれ今回のDisengageはこの作品へのオマージュ的運動も兼備しています。
2.そんなビアンキ的なコンクレートも勿論手段として選択可能なんですが、それとは別に、僕にはデザインへの欲求というか、やはりアウトラインをしっかりと象ったサウンドというものに強く興味がある訳で、強引なコンクレートにはない「身体的」な動きというものが欲しい時も多々ありまして。
例えば常々僕が公言しているリシツキーやカンディンスキー、モホリ・ナギらの作品をトピックに僕がバウハウスデッサン周辺から得ているイメージというのは、やはりデザインとそのデザインが持ち合わせた機能性、前述したプロセス時と同じ設定で話をするのなら、ダダイズムというWAVファイルがゼロポジションに設置されているとして、そこからレイヤリングではなくフォトモンタージュの様にカットアップデザインを繰り返す、細かく無数に切り貼り切り取りされた具音もしくは贓物をさらに歪にデザインする、そのまた繰り返し。
もっとマクロな視点で、執拗なまでにエディット過程を一切バイパスせずにしっかりと行う。すると、僕が目指す所謂「グロテスクな幻想を背後に病的もしくは性的な具音が持続、反復、コラージュといった運動により形成されていく音楽」になる。ビザールミュージックに。
ENGのアルバムDokument2006-2009で言うと「Geisha Rape Blues」[11]や「Zomanna」[12]とかですね、そのサウンドはこの時点ではある種「身体的」、建築的、構造的な物として完成されており、別に複雑なものでなくていいんだけど、単純に合理的に組み合わされただけのシーケンスの様な、それを音楽にそのまま置き換えれば「ボディミュージック」的とでも言えるかな、EBM本来の意味合いとは違うけど、こういった「身体的」と言った僕の発言の流れを汲んだ意味合いからEBM的(エレクトロニックボディミュージック)であると言える。

クリエーションの過程も実に建築的であると言っていい、切り貼りするサウンドコラージュを可視化していく僕のイメージと並走させてビザールへと流れ込んでいく。このインタビューを読んでくれている読者がENGの音源をEBMと接続するのには少々無理があると思うんだけど、ただ「身体的」な「合理的」なバウハウスデッサンの流れを汲んだうえで僕はEBMと呼んでいるので、どうか混合しないで頂きたい。(※ちなみに一般的な意味合いでのEBMの話をするなら個人的、マイフェイヴァリットはSPKのMachine Age Voodoo、オリジナルは84年もの。最近CD化されて話題にもなってましたがEBM入門編にどうぞ、リマスターはされていないUSバージョンを録音しています)

つまりダダイズムというソースを1.コンクレートドローン化(イメージに対してのオーバダビングと半永久的な持続化を意味するコンクレートという手法)もしくは2.ビザールコンクレート化(イメージに対しての可視化を意味するビザールというサウンドをコラージュするという手法)するにあたって、極めてバウハウス的な意識下の中でデザインを重視し運動を繰り返す。
結果身体的構造を持ったそれらファイル、またそれをバウンスした結果的作品をボディミュージックと形容する僕はこの項目の質問内容で言及してくれている、2項対立していると大法くんが言うこれらキーターム「建築的/反建築的:神経症的/分裂症的」を僕は決して対極的には捉えていなくて、むしろ同じ性質を持ったひとつの創作過程にしか過ぎないと考えているのです。つまり考え、方法論の一つであると。「ダダイズムとバウハウス、このリピテーションその連鎖と反復もしくはその差異」っていうのは僕にとっての方法論の一つを弾き出している計算式の一つなんです。ダダイズムもバウハウスも対極的な存在では無いのです。

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