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interview インタビュー

ドローイングとグラフィック作品について 有機的表現の限界から線の実験へ Interviewer : Masanori Diefor

buna 作品1

-今回制作して頂いた作品もそうですが、bunaさんのドローイング作品には書に通じるような日本的なモチーフを感じさせるものが多くあります。bunaさんご自身、日本的な文化やそこに通底する精神性からの影響はありますか?
ここ10年くらいは、日本や東洋の精神性に関心があるので。影響はかなりあると思います。特に仏教(真言宗)や禅、古神道などの世界観、価値観には共感するところが多いです。
-グラフィック作品では建築的ともいえる格子(グリッド)を多用されていらっしゃいますが、こうした幾何学的なモチーフはどういった理由で取り入れられているのでしょうか?
2008年頃まではジャン・ミロに影響を受けた有機的な絵などを描いていました。ある時期から自分の作品に現代性がない。そんな風に感じるようになったんです。10代の頃からパンク・カルチャーに浸かっていたので、その影響だと思います。それを表現するには、有機的な線だけでは出来なかったんです。ちょうどその頃、AutechreやWARP、SKAMなどが代表する最前線の電子音楽を聴いていたので、その世界観にもインスピレーションをもらいました。
-具体的にどのような取り組みをされて現在の表現へ辿り着いたのでしょうか?
まずは有機的な要素の排除をしました。これは作品から感情や思考(アイデンティティなどを含め)を切り離す過程でもありました。次に一本の線の質と多様性を高めるための試みをしました。(下図1)。色や線の強弱をつけて(下図2)無機性と有機性のバランス、関係性も試しました。建築的な絵柄になったのはその後です(下図3)。20代前半に影響を受けたバウハウスやスイス系の芸術、グラフィックや建築デザインをヒントにもしました。こういう実験はまだ続いていて、最近のスタイルもその過程での産物です。
図1
(図1)
図3
(図2)
図3
(図3)
-ドローイングとグラフィックでは制作へ向かう姿勢に違いはあるのでしょうか?
抽象的な説明になってしまいますが、ドローイングは自分の内外にあるエネルギーのようなモノのを一つに繋ぎ、コントロールしていくような瞑想に似たもので、“潜る”や”帰る”感覚です。グラフィックの場合は、そうやってつくられたものを構成する。という客観的且つ意識的な作業で、”行く”感覚です。そこが大きな違いだと思います。

文化とコミュニティー/イベント・オーガナイザー

Trench Warfareポスター1

Trench Warfareポスター2

Trench Warfareポスター3

-Trench Warfare(トレンチ・ウォーフェア)という音楽とアートのプロジェクトを主催されていらっしゃいます。どういった経緯で始められたイベントなのでしょうか?
渡英した理由が東京の生活や文化(ポップカルチャー)に馴染めなかったからでした。でも、事情があって帰国しなければならなくなって。日本で生活できる環境をつくる必要があったんです。またヨーロッパで出会った人たちみたいに、自分の街を誇りに思えるようになりたかったんです。それにはアートと音楽が身近な環境、そして属したいコミュニティが必要でした。

Trench Warfareイベント写真

-具体的にはどういった音楽のイベントなのでしょうか?
今まではエレクトロニカやブレイクビーツ系が多かったです。始めた当初、既に千葉県にはハウスやテクノのシーンは辛うじてあったので、それ以外のアンダーグラウンドなシーンをつくろうと思っていました。一番活動的だった時期は、海外のアーティストを毎回のようにゲストに迎えてやってました。でも今は、ハコがなくなってしまったり、メンバーのそれぞれの生活もあるので、なかなか難しいです。
buna イベント-イベントはどういった場所で展開されているのですか?
活動的だった時期でも30~50人の小規模でした。2012年の再始動後から本八幡のExpose-OneというDJ Barを中心にやらせて頂いています。最近は月1でラウンジなスタイルで、DJをしに行ったり、行かなかったりしてます。自分が聴きたい音が鳴ってないなら、自分で鳴らすしかないので。
-文化だけではなく地域経済の活性化にも働きかけていきたいという想いを以前語っていらっしゃいましたね。
イベントをきっかけにこの地域に関心を持ってくれて、この街が好きになって住み着いてくれる人が出てきたら良いんですけどね。 そうなれば経済効果は多少あると思うのです。僕自身、イベントをはじめてから、地元で飲食することが増えましたから。村おこしはこの先もずっとやっていくと思います。地味にか派手にかはわかりませんが。
-bunaさんがイベントを通じて考えていらっしゃることは、いま郊外について語られる際、活発に議論されているようなテーマでもあると思います。地域の歴史性も含めて文化を中心としたコミュニティーのあり方については日本が近代化を推し進める中で見失われてきた部分かもしれませんね。
地域と国、現在と過去など、色んな関係性が切り離されてバラバラで軽薄。かと言って自立しているわけではなく、実は多くの人が繋がりたがっている。でもうまくできない・・・。そんな印象でした。なので少しでもその距離を縮めたかったんです。イベントをやることで少しは近づけられたとは思います。でも、残念ながら蓋をあけたら同じような音楽が好きな人は、この地域にはもの凄く少なかったです。
-bunaさんが育まれようとされていらっしゃるのはただ人々が集まるための場所ではなく、それを支え、価値観を共有することが出来るような場(シーン)であると思うのですが、そういった活動を現場から続けられる中で最も重要なことや困難なことはどういったことだと感じていらっしゃいますか?
SNSを利用してメンバーを集めたので、もちろん初めて会う人ばかりで、 年齢も育って来た背景も動機も違いました。なのでお互いの距離を縮めるのが難しかったですね。次に経済力や集客力が無いとやはり続けて行くのが難しいです。なので無理のない規模と頻度でやることが大事なようですね。また、次の世代へ繋げて行くのも大切なことであり、それがもっとも難しいです。
-これからはどのようなイベントが求められていると思いますか?
イベントの縮小化は都内でも同じようですね。不景気の影響なのかどうかわかりませんが。でも、小さい規模でもそこに来た人がどれだけ楽しみ、何を得たかだと思います。もしかしたら今求められているのは、人との出会いや会話を中心にした、サロンのようなスタイルなのかもしれません。

クライアントワークについて デザイン/プロデュース

-これまでにCDやレコードのアートワークも多く手掛けられています。ダウンロード配信が優勢な現代において、単に平面的なグラフィックではなくフィジカルなパッケージ(物)としてのアートワークを手掛けられる際には、制作においても違ったモチベーションやアプローチがあるのでしょうか?
僕自身、アートワークが気に入らないと、CDではなくデータを買うことがありますし、試聴すらしないときもあります。だからこそアートワークをやらせて頂く責任を重く感じています。CDなどは、DJやコレクター以外は買う意味が薄れてきていると思うので、何かしらの付加価値が必要とされ、今まで以上にそのデザイン、アートワークが重要になってきていると思います。
BUN /Adieu a X
BUN /Adieu a X
Fugenn & The White Elephants / Prays
Fugenn & The White Elephants / Prays
Bakradze / Letter
Bakradze / Letter
Geskia / Alias
Geskia / Alias
-データ配信という選択肢が生まれたことによって、むしろ今まで以上にパッケージそのものの価値や必然性を問われるという意味では、健全な状況が生まれたと言える部分もあると思います。
そうですね。その点ではそう言えると思います。ただ、世界的に音楽が売れなくなっているので、パッケージが重要になっているにもかかわらず、レーベル側はそこに予算を割けないというのが現状のようです。安く質の高いものを求められるという音楽業界(特にインディーズ)に係わる人全てが厳しい状況だと思います。
-一方で近年では商業空間や展示スペース、またリノベーション・プロジェクトなどのプロデュースも意欲的に手掛けられています。これまでアートワークなどの平面作品を手掛けられることが多かった中で、どういった経緯からこうした空間デザインへと関わり始めたのでしょうか?
色々やっているので、よく聞かれます。でも、殆どがいつも目の前にあることをやっているだけなんです。もっとこうだったら良いのに。という思いはいつもあるので。目の前に現れた仕事やプロジェクトでそれを表現、または実現する。というスタンスでやっています。

青山スパイラルホール

-ドローイングを中心にこれまで平面における表現やその探求を長年されてきたbunaさんにとって、空間という新たなキャンバスはどのように映っているのでしょうか?
平面を平面と考えて制作をしてこなかったのか、不思議と抵抗は全くないです。大きな違いは一人ではできないということですね。部分的に専門の方がいて、その方々の経験や情熱などに触れられるのは、それはそれでとても楽しいですよ。

コラボレーション・ワークスについて ネットとリアルの可能性/環境との対話から生まれるもの

buna デザインTシャツ他-ロシアのファッションブランドSHNB(Shinobiwear)とのコラボレーションもされています。身に纏うという点が作品の選択や制作に影響を与えた部分はありましたか?また、こうしたプロダクトとのコラボレーションについてはどのように考えていらっしゃるのでしょうか?
着たときの絵の見え方が独特なので、そこが難しくもあり新鮮でした。また、Tシャツは何に共感しているとか、または属している。というメッセージとして着ることが多いんです。これはジャケや絵とはまた違ったスタンスでの制作でした。また、福岡を拠点にしているARK TYPのCONNECTもそうですが、こうやって遠くの人とコラボレーションが出来るというのは、国内の閉塞感や断絶感も薄れますし、21世紀的であり刺激的です。去年はタイのアーティストのTUSKとTシャツや作品を一緒につくったのですが、近くて遠い存在になっていた、アジア人のアーティストとこうやって少し近づけたことは嬉しいことでした。プロダクトで言えば、今年中に僕がデザインしたiphoneカバーが発売になります。またチャンスを頂けるのであれば幅広くやりたいです。
-現代はインディペンデントな活動を行う上で非常に恵まれた環境であると強く感じます。 bunaさんもネット上でインタビューや対談を掲載されるなどネットメディアを活用されていらっしゃいますが、SNSなども含めた活動の可能性についてはどのようにお考えですか?
経済的だったり地理的に実現出来なかったことが、出来るようになったんですから。その点では恵まれた時代ですよね。アメリカのバンド、Fugaziのボーカルが「テクノロジーが夢に追いついた」と最近インタビューで答えたらしいですが、正にその通りだと思います。ただ、気軽な分、無責任になりがちですよね。また、以前ならそこに行かないと経験できないことがあり、そのためには何かしらの障害を乗り越えていく、情熱だったり、モチベーションがあったと思います。それがモニターの前で簡単に経験しているかのように思えてしまうことに、危機感はあります。
buna ライヴペイティング-ある種、共同作業という点では、過去、ライヴ・ペインティングもされていらっしゃいます。こちらは音楽や空間の条件であったり、ネットとは違ったまさにリアルな場とのコミュニケーションに大きく左右されると思うのですが、具体的にはどういったものなのでしょうか?
完成させることよりも、その過程を大切にしています。基本的には、音楽と空間との即興のセッションで、音楽を担当する人と僕がリアルタイムに影響し合って作り上げていくんです。その場や音に潜り、一つになるイメージでやるので、そこにいる人や空間に大きく影響されるんです。相性が悪いと手が止まってしまうので、どこでも、誰とでもやれるものではないのが困った点です。。
-環境との対話のログ(履歴)が結果的にひとつの絵を生むという生態的なプロセスはどこか建築とも通じているように思います。パフォーマンスを行う上でもっとも重要なコミュニケーションの軸となるのはやはりDJやライブ・アーティストとの関係性なのでしょうか?
そうですね。そこを軸にして発展させていきます。理想はお客さんとの三角関係で作り上げていくかたちです。その一番良い例が2008年にスペイン国内6都市を回る、3000~5000人規模のイベントでパフォーマンスをさせてもらったときです。そこにいたお客さんたちのノリが凄い良くて、最終的には何百人という人が絵の具だらけになって、一緒に描いて踊るということが実現できました。
-国民性や文化性にも左右されるという部分は非常に興味深いです。要素ではなくまさに関係性が主題なんですね。
そういう空間に限らず、街や国なども同じだと思うんです。個人個人が目の前の相手とどう関わったか。その結果として出来上がって行くもので、それを体現するようなパフォーマンスだと思っています。

今後の活動の展望について 3.11以降の価値観の創造を目指して

-昨年、タイへ滞在されたことをきっかけとして、アジアを視野に入れた作家活動へとシフトしつつあるようですが、具体的にどのような心境の変化があったのでしょうか?
タイの写真去年、バンコクのGOJAという、日本人がオーナーのギャラリーがあって、そこで開催された浅利浩也の個展を手伝わせてもらったんです。東南アジアの多くの国がバブル経済真っ只中で、日本にいると作品が売れることは滅多にない(少なくとも僕の周辺では)ですが、向こうではそれが目の前で売れていくんです。ギャラリーも展示会をやるアーティストの為に制作場所や宿泊施設を持っていたりと。アーティストとして活動しやすそうな環境でした。欧米以外で芸術活動が出来る場所があることを知れたのは大きかったです。それをきっかけに浅利浩也はLOVOL(レベル)というアートプロジェクトを立ち上げることになり、僕も1スタッフとして関わらせて頂いています。
-以前、お話しさせて頂いた際、3.11以降しばらく絵は描いていない、むしろ描けないというようなことを話されていたことが印象に残っています。今回、CONNECTに参加していただくにあたって改めて筆をとって頂いたわけですが、絵を描く前と後で何かご自身の中での変化はありましたか?
長く描かない時期というのがよくあるのです。3.11以降は混乱や憤りが強くあったので、それを絵にすることに抵抗があったんです。10代や20代の頃なら間違いなくそれらを表現、表出していたとは思います。ただ、ここ数年は感情を排除するようにしていたので、その方向性と真逆にはいけませんでした。このCONNECTの話を頂いたときは、まだそういう状態でした。
-今回、ご提供頂いた作品にはそれぞれ意味深いタイトルが付されていますが、どういったメッセージを込められたのかお聞かせ頂けますか?
「背暗向明」は空海の言葉で、人生という苦の中で、絶望や怒り、妬みなどのネガティブなものに背を向けて、希望を持って前に進みたいという思いを込めました。「陰陽」については、この世界は光あるところに陰があり、どちら側にまわるかは、一人一人の生き方次第だという、自分に対しての戒めです。
-アーティストとしてつねに精神的であると同時に普遍的な深淵を覗き込んでいるような印象を受けます。
人生の本質を見極めたいという思いが、ここ数年は特に強いので、そういう印象を与えているのかもしれません。実際会うとその印象と違うので、驚かれます。
-ご自身の活動の求める先を、今後の展望も含めて最後にお聞かせ下さい。
今まで自己との対話を続けて来たので、そろそろ外に視野を向けて、コミュニケーションをとっていく時期のように感じています。そして、今までの生活や価値観を見直し、新たな価値観を築かなければならないと思っています。日本が古来から育んできた自然と共存した文化や習慣の中には、たくさんそのヒントがありそうなんです。なので、そこを追求して世界へ発信したいです。
-これからのご活躍も非常に楽しみにしています。どうもありがとうございました。
こちらこそ、このような貴重な機会を頂き、ありがとうございました。

[END]